Le Journal Blanc ~白のジャーナル~

あなたの明日をもっと輝かせる、素敵な気づきのお話。ふわっと、時に凛と。

ほんの少しの「思いやり」を、互いに

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先日、とても寒かった日。

夕方の、そろそろ帰宅ラッシュが始まる時間帯。

東京メトロに揺られていた時のことです。

 

赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら、若いお母さんがうつむきがちに乗り込んできました。

肩からは幾つもの大きなトートバッグを提げ、申し訳なさそうに、うつむきがちに。

ぎゅうぎゅう詰めとまではいきませんが、厚手のコートを着た人達で混み始めた電車の中、1台のベビーカーはそれなりにスペースを占めます。

誰も何も言いはしませんでしたが、ベビーカーを畳むことなく乗り込んできたお母さんのことを、誰もが快く思ってはいない。

そんな空気がなんとなく、あたりを支配していたのです。

 

そのことが伝わっているせいでしょうか。

お母さんは誰とも目が合わないよううつむいたまま、小さくなっています。

 

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突然電車が大きく揺れ、転ぶまいと、人々が懸命につり革などに捕まった瞬間。

中年の男性の声が車内に響きました。

 

「ったく、邪魔なんだよ……」

 

ベビーカーのことを指しているのだと、誰もが気づいていたはずです。

いたたまれないのでしょう。お母さんは一層身を小さくしてうつむき、耐えています。

 

こんな時、「大丈夫ですよ」とお母さんに声をかけてあげるのが同性の年長者である私の役割かもしれないと思いましたが、きっかけが掴めず、勇気も持てず、苦い沈黙の時が過ぎて、お母さんは次の駅でまたベビーカーを押し、電車を降りて行かれたのでした。

 

赤ちゃんがずっと静かに眠っていてくれたことが幸いではありましたが、お母さん、可哀想だったな、何もしてあげられなかったという思いが、帰路ずっと、胸に残りました。

 

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ベビーカーを畳んで電車に乗らなかったおかあさんがいけなかったでしょうか?

けれども、大きな荷物を幾つも肩から提げている状態で、畳んだベビーカーを持ち、赤ちゃんを抱っこして……というのは無理だったことと思います。

 

電車に乗る時、「ご迷惑をかけてすみません」と周囲に聞こえるよう、お母さんが言えばよかったでしょうか。

けれど、同行者がいない状況で見知らぬ人達に聞こえるよう言葉を発するのは、かなり勇気の要ることであるようにも思います。

 

混みあう電車の人いきれの中で、大きな揺れに転びかけて苛立った男性の気持ちも、まったくわからないわけではありません。

では一体、誰がどうすることが正解だったのでしょう───。

 

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公共の場でのベビーカー問題。

様々な見解を目にしますが、結局解決策はただひとつ、「思いやり」ではないかと思うのです。

 

電車の乗客である人々は、赤ちゃんを連れて懸命なお母さんの状況を、少しだけ思いやってみる。

お母さんも、「周囲の方にとってはご迷惑だろうな」と、乗客の気持ちを少しだけ思いやってみる。

そんな風にほんの少しずつ互いを思いやりあうことで、場の空気は一変するのではないでしょうか。

 社会という大きな集団も、ひとりひとりがほんの少し気持ちの持ち方や表現方法を変えるだけで、ゆっくりと、けれどいつかは確実に変容していくものではないかと思うのです。

 

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「ご迷惑をかけてすみません」

「いいえ!どういたしまして」

 

大人同士がそのように微笑みを交わしあうあたたかな社会で、子供達を伸びやかに、健やかに育てることができたら。

私はそのように願ってやみません。

 

 

皆さんどうぞ、やさしい週末をお過ごしくださいね♪

 

 

 

Web magazine`Project DRESS’で、コラム「人生が好転する気づきの美習慣」を連載させていただいています。   

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