「なつかしい」がくれたもの
東京メトロのある駅での出来事です。
地上階へ向かうエレベーターを待っていると、赤ちゃんを乗せたベビーカーを押しながら、お母さんが歩いてきました。
その後ろから幼稚園くらいの男の子が、「ねえねえ」と懸命にお母さんに話しかけながらついてきます。
男の子「ママ、あのね、ここ、と~ってもなつかしいね!」
お母さん「なつかしい? 覚えてるの? ここ」
男の子「うん! なつかしいな~っておもってるの。なつかしいね~」
男の子は終始にこにこ、笑顔です。
大人にとっての「なつかしい」という言葉の意味と、まだ小さな男の子が口にしたそれの意味するものが、完全に同じかどうかはわかりません。
けれど少なくとも、男の子があたたかな感情の表現として「なつかしい」と繰り返している姿を見て、子供とはなんと愛しいものかと思いました。
この世に生を享けてからわずか数年で、このようにやわらかく繊細な感情を宿しているなんて、と。
男の子が「なつかしい」と感じていたものは、まだ一人っ子でお母さんを独り占めできた頃、手をつないでこの駅を歩いた日の記憶でしょうか。それとも?
彼が無垢な心の瞳でみつめている情景を、少しだけ覗かせてほしい気がしたのです───。
「人は子を持つことで再びの生を得る」という表現があります。
親になると、わが子の傍らに寄り添い、同じ視線を持って生きることで、幼児が大人になるまでの過程を追体験できるという意味かと思います。
初めてしゃぼん玉を作って遊んだときの、めくるめく楽しさ。
初めて友達とけんかした時の、胸ふさぐ悲しさ。
初めて補助輪なしで自転車に乗れたときの、晴れやかな嬉しさ。
遠い昔に経験した様々な「初めて」をひとつずつ体験し直すことで、その度に子供と同じ、瑞々しい感情を味わうことができる。
これは親となったことで得られる無数の喜びのひとつだなと、子供を育てながら私は、深く実感してきたのですが。
今日、この男の子に出会ったことで気づいたのです。
わが子ではなくても、街で出会う子供たちに束の間心を寄せ、子供の思いを想像してみるだけでも、瑞々しさの一端を味わわせてもらえることに。
大人よりずっと低い位置から見上げる街は、街路樹もビルも、うんと高く立派に見えているかもしれません。
大人が見上げるより空はもっと広く遠くて、その分だけ自在に夢を描けるキャンバスなのかも。
そう思いめぐらせるだけで、見慣れた風景が鮮度を得、輝いて見えるようでした。
「なつかしい」とくり返す男の子のお陰で、胸に清新な風が吹き抜けた午後。
なにげなく過ぎてゆく日々の中に、やさしいもの、美しいものを見出す幸せを、かみしめたひとときでもありました。
*Web magazine`Project DRESS’で、コラム「人生が好転する気づきの美習慣」を連載させていただいています。